2007年07月17日

 モテ講座2―ワックスで髪を立てる

モテ講座1―デカいピアスをつける

街を歩いていると「ワックスで髪を立ててる」やつがいる。
大切な髪に毒薬を塗りたくり、「へなへな〜」とした髪を「ぴん!」と天に向かって立てせる、それは「俺はびんびんだぜ!」といったアピールであり、すなわち“象徴的ペニス”なのである。

女は、やはりペニスと似ているからだろう、その天に向かって突き出ている男の髪の毛に興奮し、男に近寄る。そして、その直立した髪の毛の先端を・・・・触る、触りまくる!!

男は、やはり街中でデリケートな部分を触られるのが嫌なのか「やめろよ」と言うが、女は触るのを止めない。

二人の顔は紅潮し、呼吸が荒くなり、二人はついに・・・あああ!・・僕も触ってほしい・・・ぐふふふひひひぐぇっひひひ・・
ああっ!(驚)
髪を抜いた!女が髪を抜いたぞ!!
その去勢された髪を培養で100倍に育てる気だ!肥大化させる気だ!そしてその女は、
その女は・・・彼氏が不在の時、その培養した“モノ”を、“代わりに使う”のだ!
そのモノで、“とりあえず我慢する”のだ!
そのモノで、いつも彼氏の温もりと“締め付け”を得たいのだ!


はぁはぁ・・いやはや興奮してしまった(汗)
まさか街中で淫行しているカップルがいるんだからNa、ほんと最近はモラルが低い輩が多いZe。

だがNa、「誰でもワックスをつければいい」というわけじゃねえ。

高校の時もそうだったが、ワックスで髪を立ててるやつってのは、いわばクラス内の“特権階級”であり、「俺はモテる」というステータスシンボルであった。
実際、ワックスで髪を立てているやつは、相対的にモテていたんDa。
そうじゃないか?
ワックスはモテることと不可分の関係、ワックスはモテるか否かを左右する重要な変数、学校という隔離された空間では特に、“経済力”という変数等よりも、断然にワックスの方が意味をなしていたんだNa。

そしてそのことに気づいた非モテの男共も、無理をしてワックスで髪を立てようとしやがる。
俺はその勇気、その勇気はすごく認めるが、内心では「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ぁァ!!!」と、諦観していたNa。
やはり・・・“無駄”なのだ。
髪の毛は躍動感でびんびんに漲っているとしても、対照的に、自分の顔面を鏡で見れば「いかに程度が低いか」を、自覚する。

二項対立で考えてほしい、“ダサい顔面”と、“カッコつけた髪の部分”という組み合わせを。
ワックスを立ててモテてたやつというのは、“カッコいい顔面”と、“カッコつけた髪の部分”が、しっかり<ワンセット>になっていたのだ。
それを「ワックスを立てればモテる」と勘違いし、必死で自分のクオリティの悪い顔面に“カッコつけた髪の部分”をセッティングしても無駄、豚に真珠、羊頭&狗肉(顔の部分)なのである。

空しく屹立した髪の毛たちからは哀愁が漂い、同時に「俺も冒険するとああなるのか!?」と、恐怖を覚えた。

そう、ワックスは諸刃の剣、そしてその武器は、誰もが使いこなせるとは限らないんDa。

わかったか?

かといって冒険しないのもよくないからNa、まあ「リスクがある」ということを、肝に銘じておけYo。
posted by DJしかばね at 04:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | まあまあ美味い店(国内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月30日

 ずぶ濡れのファンタジー

最悪の空間に、俺はいた。

貧困だの国際問題に関する授業を受けてたんだが、「日本は環境の意識は高いんだけど、貧困の意識は低いですよね〜」「モノカルチャーから脱するためにそういう施策も、私は大事だと思って〜」「フェアトレードの精神が、ヨーロッパと違い日本ではほとんど認知されていないのが問題ですね〜」だの、偽善者共が、何ら世界の貧困問題や国際問題を本気で解決しよう等といった志をもっていないにも関わらず、<私は平和主義者!><世界みんなのことを考えている地球市民!>といったモラリストぶったオーラ(毒ガスと同等)をのうのうと垂れ流しやがって、非常に気分が悪くなった(嘔吐)

おい、まずそのあんただYo。
さっき俺と就活トークしてたあんたさ。
んで何だ?

「(広告代理店は)電通と博報堂だけ受けたけどダメだった〜」って言ってただろ?
ジーザス!
目の前に偽善者がいます。

ほんと笑いそうになったね。
電通や博報堂目指しといて、何が「環境ばかりじゃなく、貧困に対する高い意識を持つようにしないと!」だYo(笑)

じゃああんた就職活動で、ほんの一つでも、NPO団体とか受けたのか?
電通や博報堂の平均年収は1000万ぐらいあるが、日本のNPO法人の約6割は、1000万以下で活動してるんだZe?
個人じゃねえ、“全体の活動資金”が、1000万もねえんDa。
個人で1000万貰えるなんて、夢のまた夢Yo。

有給職員は6割近くが平均年収“150万”以下、無給スタッフもいる。
だから「NPO・NGOに就職して、社会で困っている人を助けよう!」といった大学生は皆無、俺も含めほとんど全ての大学生にとって、「その選択肢はありえない」んDa。
大抵は「公務員か民間企業」なんだNa。

そう、俺も含め、しょせん自分のことを第一に考えるエゴイストで、金という価値観の束縛から逃れられない守銭奴なんだZe。

にも関わらず、「社会で困っている人を救いたい」みたいな発言を口走りやがって、どうせ何もしないくせに、偉そうなこと言ってんじゃねえYo!
電通や博報堂に就職し、高い給料で贅沢豪奢に暮らしたいと思ってるんでしょ(笑)

ジーザス、だが俺も、人のことはいえない(悶)
俺も電通や博報堂の金&社会的ステータス&何か仕事面白そうに惹かれ、無残にも敗れ去った雑兵の一人だしNa(汗)

だが俺は、口先だけの偽善者には絶対なりたくないね、そこは一線を画しておきたいYo。

発言すると自分も偽善者になるゆえ、俺は全く議論に加わることができなかった。
俺の方が「より不毛で非生産的」な行動してるかもしれねえNa、まだ発言する方がマシかもしれねえNa。

でもそもそも教授よ、これほどまでの偽善者達を目の前にして、あんたは嫌悪感を抱いていないのかい?
腹が立ってこないのかい?

国際問題や平和問題について“教授”というポジションにまで登りつめたあんたは、世界を救うピースメーカーじゃないのか?
ピースメーカーになる夢が、あったんじゃないのか?

理解しているはずDa、「どうせこいつら何もしない」って、気づいているはずDa。

あんたのゼミ生は、どんな人達だ?
いないだろ?
NPO団体を就職先として選択する人、困っている人を救いたいといった信念を持った大学生なんて、いないだろ?

ほとんどみんな、建前では世界平和だの貧困だの語りつつも、実態は己の利益を第一として行動しているってのが、ひしひしと伝わってくるだろ?
だからガツンと言ってやれYo、
「いくら語ろうが、キミたちはどうせ何もしないんだろ!?(怒)」
と、言ってくれYo。

なぜ偽善者の生徒達を非難できない?

もしかして、あなたもピースメーカーになりたいといった崇高な志なんかなくて、

教授になりたい=社会忌避

という感情が、あったのか?

何年も何年も、大学で自分の好きな研究やって、競争主義社会の辛酸を舐めることなく生きていたい、だから彼/彼女らを非難することができないのか?

いや失敬、ちょっと極端なことを言い過ぎた、教授になるために生活費&学費を自分でアルバイトしながら稼ぎつつ、外国や現地にも赴いて努力を怠らなかったという可能性もあるし、教授になるためにも、熾烈な競争があるだろうしNa、もうよそう(汗)

ここまできて、一番醜く映っているのは俺だNa。

よくいるんDa、こういう「上から目線で語るやつ」って。

「人混みがうざいよね〜」(あんたもその人混みを構成する一人じゃん?何その“私は人混みに属していない”みたいな優越は?)
「世の中やっぱ金やからね!」(何を根拠に言ってるの?何、見透かしたようにいってるの?)
みたいな、物事を「神の視点っぽく語る」やつ、マジ糞尿レベル。

学者とかが「○○族」だの「○○系」だとか言うのも糞尿排泄行為と同等、人や物事を自分が捏造した鋳型や価値観にはめ込み、さも「私は人間や世界を完全に理解している」「造詣が深い」と、自分が神であるかのように振舞う自分自身に陶酔する、醜い。

謙虚になれYo、ほんとに。

と、前フリが長くなったNa、今日はもっと明るい話をする予定だったんDa。
本題に入ろう。

今日、雨が降っていただろ?

二人だけの空間.jpg俺は一人、傘をさしながら歩道を歩いていると、右図のように、外国人の男子&女子が、狭い歩道の真ん中で話し込んでいたんDa。
「どけどけ〜い殿様のお通りじゃ〜い」等と心の中で口走りながら、俺はその外国人二人の前を通り過ぎたんだが、俺は二人の間を通り過ぎた数秒後、「あっ!」と、思わず心の中で驚きの声をあげ、振り返った。

そして把握した、二人が「酔っている」ということを。
雨がざあざあと降りしきる中で、雨宿りもせず、二人で傘を買って相合傘すらしない。
そう、二人は「愛し合っている」んDa!

「雨に濡れている」という事実が意識に上ってこないほどに、彼と彼女の感覚は麻痺し、その見つめている目の先には、お互い以外の背景は、何も映っていない。

二人の目の前を、幾度となく傘をさした歩行者が通り過ぎる。

だがそれでも、二人が話を止めることはない。

雨に濡れる二人、傘をさしながら歩いている歩行者、見事なコントラストを構成している。
美しい対比、際立つ愛の空間。
二人が雨に濡れれば濡れるほど、俺や他の歩行者の存在を排除し、二人だけの世界は構築されてゆく。

そしてみずみずしい歓喜のシャワーは、「一緒に濡れる」という仲間意識の芽を、しだいに愛の花の開花へと、導くんDa!

ずぶ濡れになって話し込むあなたと私、濡れる髪、濡れる肌、濡れる股間。
「ああ、もうガマンできない・・・」
今すぐ愛し合いたい、だから濡れてもいいの。
実はもう、あなたと私は抱き合っているの。
だって愛し合う二人は、裸になって一緒にシャワーを浴びるじゃない?
だから私とあなたは、もう、既に、抱きあって(SEXをして)いるの・・・

そう、俺が言いたいのはここYo。

いわば“ジェスチャー”(象徴的行為)だということDa。
一見、SEXのジェスチャーというと、「腰を振る動き」等を想像するだろうが、この「二人でずぶ濡れになる」という行為も、「SEXのジェスチャーの一つ」なんだNa。
単に空間が違うだけ。

公的空間               私的空間
二人でずぶ濡れになる       二人でシャワーを浴びる(≒SEX)


ほとんど同じ、同質性があるだろう?
だから映画やテレビドラマにある「男女二人が雨を浴びてずぶ濡れになるシーン」ってのは、実は「二人一緒に、お風呂(私的空間)でシャワーを浴びる」ことと相似の関係で、二人の“親密さ”を比喩的に描く手段として、かなり有効に機能している。

「雨になって二人でずぶ濡れになる」ことで、“排除”(傘をさしている人たち)と“局限”(二人だけの空間の構築)を加速させ、“愛を育む装置”として、機能させているんDa。

「吊り橋効果」(吊り橋のドキドキ感と、好意・愛情のドキドキ感を混同すること)と似たような方法論Yo。

といっても説得力にかけるNa、ちゃんと「映画、テレビドラマ、現実社会等において男女二人がずぶ濡れになっている状況」を100シーン(もっと多いほうが正確性は増すが)ぐらい抽出して、その100シーンの内、「カップル(=恋人、夫婦・・・)の成立数」を調べて、割合を求めないと信じない人もいるだろうYo。

だが俺の直感から考えても、非常にロマンチックな光景であったし、吊り橋効果と同等の効果が期待できるだろう。

だから君も、気になる異性をGetしたいなら、傘を捨てるorぶち折って、喜んで一緒に雨に濡れまくるんDぁ!
posted by DJしかばね at 05:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | まあまあ美味い店(国内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月23日

 利用されるビリー

朝のひととき、ネットサーフィンしていると、

島谷ひとみ「ビリーやってます」

といった記事が、ヤフーのトップページに表示されていたんDa。

・・・この記事は面白い、そうだろ?
いわば“島谷ひとみ単体”では、「確実に記事にならなかった」と、俺は言いたい。
いや別に俺は、島谷ひとみが嫌いなわけじゃない。「あまいろの〜」とかいう歌も好きDa。
だがどうだ?冷静に、客観的に考えてどうだYo?
島谷ひとみ、最近CD出してたか?
売れてたか?
否!
あんまり売れてない。

だからあれYo、うまくビリーを利用して、自分の認知度を高めることに成功したんだNa。
ヤフーのトップページに載って、特に島谷ひとみに興味のない人でも、視界に入ってさえいれば、刷り込まれる。
“島谷ひとみ”という名が、そして歌手としての生命も、延長されたんだYo、“ビリーの力”でNa(笑)

と、ほんと嫌味なことを言いやがる、単に無意識に、何の意図も策略もなく、島谷ひとみは「ビリーやってます」と言った可能性を、なぜ考えないんDa!?
なぜ悪いほう汚いほうばかりに、島谷ひとみを持っていこうとする?
やめよう、そういうの醜いZe!

けど俺はだNa、今ビリーが大ブームだからこそ、「敢えてビリー旋風に乗っからない」という選択肢を取るほうが、絶対カッコいいと思うし尊敬できると思うんだよね、そうでしょ?

だからビリーを話題にする芸能人は二流、じゃないかって俺は思うNa。

大衆に迎合してる、芸能人ってのは、「皆の憧れ」で、「皆のリーダー」としてのカリスマ性を、備えてなきゃならない。
にも関わらず、自分のプライドや価値観を捨て去って、興味のベクトルを大衆と同じく「ビリーズブートキャンプ」に持ってきてるってのが、「ダサい」んだYo。
そこには何の特異性も、カリスマ性も感じられないだろう?

だが重要なのは、特異性やカリスマ性じゃないってのもある。

いわば“親近感”ってやつだNa。興味のベクトルを大衆と同じレベルに下げれば、非常に親近感が湧く。
自分の趣味と、自分が尊敬している人の趣味が同じだったら嬉しいように。
ということは、対をなすかもしれねえ。

カリスマ性⇔親近感

ってのは“陰と陽”で、このバランスが取れていることで、初めて「生き残れる芸能人」になれるんじゃないかってね。

ビリーを話題にすれば、親近感というパラメーターは上がるが、カリスマ性は下落するってことYo。

まあごちゃごちゃ、偉そうなことを言うのはもうやめよう。
言葉じゃない、感覚的なもので、今日の話を終えるかNa。

酒瓶.jpg右の写真Da。
これは「言葉にできない魅力」ってのがある。
見るからに単なる酒瓶ではあるが、何がイケているのかというと、「口元が割れている」ってところDa。
だって普通は、“瓶底”の方が“割れやすい”はずなのYo。
にもかかわらず、「口元の側が割れている」ってのは、まるで「自然の摂理に逆らう酒瓶の抵抗」みたいDa。

あるいは、人為的に割れたものとしても、そのシチュエーションは、非常にミステリアスDa。
この酒瓶で人をぶん殴っても、火炎瓶にして投げつけても、ほとんど確率的に考えて、割れるのは“瓶底”なんだYo。
“口元”が割れているってのは、人為的な原因として考えても、「確率が低い」「おかしい」と思わないか?

だからこそ魅力がある、この口元が割れた酒瓶には、俺の想像力を超えた、人間の思考力では捉えきれない「何か」があり、神の業を彷彿とさせるんだNa。

って言葉にしちゃったが、まあとにかく、この酒瓶はミステリアスで、美しいということDa。
posted by DJしかばね at 12:19 | Comment(1) | TrackBack(0) | まあまあ美味い店(国内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月07日

 人間広告

以前“I&S BBDO”と書かれた袋を携えた女性を、電車内で見かけたんDa。
知ってるやつは知ってるだろう、I&S BBDOは、外資系の広告代理店Yo。
もしかすると、この女性(社員?)は「うちのバックを持ちながら歩け」と、会社内で指示されているのではなかろうか?
つまりは歩く広告、人間広告、サンドイッチマンと同等だということDa。
いや、女性だからサンドイッチ“ウーマン”だNa(笑)
・・・
待て、冷静に考えると、別にサンドイッチはされてない。
サンドイッチされてるのは、もっと汚れた格好をしたホームレス風情の男達が多いだろう。

まあいい、問題は「サンドイッチされているのかいないのか」ではないんDa。
俺はようやく気づいたZe。
「人間が“広告化”されている」ということを。

中学・高校の時に「BEAMSのバッグ(オレンジ基調、地球のようなロゴあり)を持つのがお洒落」的な言説が流布していたんだが、俺もそういった言説・噂に感染し、ビームスのバッグを使っていた。
あの頃の俺は、「BEAMSを持つことで、自分の魅力のなさをごまかす&ステータスを高める」といった要領で、たぶん使っていたんだろう。

だがな、それは裏を返せば「ビームスに利用されていた」とも言えるんDa。
俺はビームスから金を貰っていないにもかかわらず、俺はビームスのバッグを用い、結果的に広告塔になり、ビームスの宣伝をしていたんだYo。

ビームスだけじゃねえ、「つるかめランド」と書かれたスーパーの買い物袋もしかり、仕掛けはあらゆる場所に存在しているんDa。

一度つるかめランドの袋を持ち歩けば、自らのアイデンティティに危機が訪れる。
自分に「つるかめランド」という社会的記号が加わり、“つるかめランド化”するんだYo。

就活セミナーに行くと、「en」と書かれた袋を渡される。
いらねえ、俺は「en」なんかじぇねえ、俺を無機質な半角英文字二文字に貶めるのはやめてくれ。
俺を“メディア”(媒体)にし、そこに「広告を載せよう」と、企んでやがるNa。

ありとあらゆるところにある。

つるかめランドで牛乳を買っただけで、俺は広告を載せるメディアと化し、俺の人間としての尊厳は失われる。

ちょっとオーバーだと思うか?
じゃあスポーツ選手に多額の金を払い、企業の名前が記載されたユニフォームを着させるのなぜDa?
それは人間を“広告化”し、人間としての尊厳や、選手のアイデンティティに危機を脅かす、低劣卑劣な行為だからYo。

だから億単位もの金を渡す、人間を広告に貶める非人道的行為の対価としてNa。

そして価値のある人間ほど、多額の金を貰える。
価値あるタレントのアイデンティティを脅かし、企業の広告塔・メディアというポジションに貶める対価Da。

嫌だろ?
「“ドン・キホーテ”と書かれたTシャツを着て歩く」「“つるかめランド”と書かれたバッグを使う」のは、嫌なはずDa。

じゃあなぜ、ビームスやヴィトンはOKなのか?
自ら一企業の産物の傘下に下るのはなぜか?
「服を着ないと警察に捕まる」「衣服を着るのは当たり前」だからか?
まあそれも、一つの理由だろう。
「ブランドだから」っていう理由もあるNa。
しかし、自分でブランドを生み出そうと思わないのか?
そう、「そう思わない」んDa、俺等一般人は。
だが、皆が身につけてるヴィトンやビームスの創始者は「そう思った」んだZe。
そう思った、「何も身につけたくない」と思ったから、「自分で身につけるものを作るしかなかった」んだYo。
だから逆、「身につけてはダメ」なんDa。
ヴィトンやビームスを身につけることで、「創始者と価値観を共有できなくなる」「ヴィトンやビームスと価値観を共有できなくなる」んだZe。
けど凡人に「自分で身につけるもの作れ」といっても、非常に難しい。
だからせめて、無味無臭感が漂うユニクロやノーブランドあたりを身につけるのが、ヴィトンやビームス的精神なのさ。

ふぅ〜まあ俺の言ってることは適当なんだがNa、別にそんな動機で、ヴィトンやビームスが生まれたなんて断定できないし(笑)

ちょっと話が飛ぶが露出狂、ストリーキングが趣味の人間を「変態」と皆は呼ぶが、本当に変態か?
むしろ「何物の傘下にも下りたくない」という精神に、美しさを感じてもいいだろう。
露出狂、ストリーキング趣味は、ヤンキー、アーティスト、独立、切腹等と同じ。
「何物の傘下にも下りたくない」という点でNa。

うまく話がまとまらないんだが、まあ今日はそういう感じで締めくくろう。
posted by DJしかばね at 00:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | まあまあ美味い店(国内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月12日

 あなたに捧げる最高のジューン・ブライド

六月は世で言う「ジューン・ブライド」の時期らしいが、なぜ、六月が結婚に相応しい時期か知ってるか?なぜなら六月は、ジメジメして、体のほくろや毛穴からカビやキノコが生えたり、婚姻届も湿気でふやけて破れて縁起わる〜、愛も腐っちまうようなような時期だからよ。だからブライダル業界のお偉いさん達は「まじ、毎年六月業績悪すぎでしょ(死)」ってなわけで、なんとか大衆に「六月に結婚すると幸せになれますよ!」、「ジューン、すなわち“純”・・・ピュアな二人は、ジューン・ブラインド(六月は日が当たらない)」みたいな洗脳プロパガンダぶちかまして(後者は失敗広告)、「六月に結婚しやがれ、腐れ庶民共が!!」と声高に訴え、その熱い思いが、今、『六月結婚幸福説』を生んだ!まさにブライダルに携わる者達によるプロジェクトXにより、今があるのだ!!

クゥ〜泣ける感動話じゃねえか(感)
そう、これから結婚しようというカップルも、六月に結婚するべきです。過去の偉人達の思いを、無下にするんじゃねえ!俺も協力してやるからよ。最高の六月結婚を、プロデュースしてやるYo!
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posted by DJしかばね at 08:02 | Comment(2) | TrackBack(4) | まあまあ美味い店(国内) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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