しかし今日もまた偽善について語りたくなったのは、こう、俺がなるべく楽そうな授業で「ボランティア論」みたいなのをとってしまったからで、そこで目、耳、鼻といった五感の全てを疑うような、まあ嗅覚とか触覚、味覚はあんま関係ないんだが、とにかく「偽善ぶり」みたいなのを垣間見ちゃったわけで、けど面と向かってそんなこと言う勇気はないので、このヴァーチャル空間で発散し、自己満足に浸ることにする。
最近「ワンクリック募金」っつうのが流行ってるみたいで、これは本当に賢いシステムでいいと思う。けど俺が嫌悪感を抱いちゃうのは、自分の日記とかホームページで、いとも簡単に「今日は募金した〜」とか、「飢餓でなくなる子供が○秒に○人、悲しいですね・・・」みたいなことを書いている輩であり、そういうこと書いて「恥ずかしくないのかな?」って思う。マジ、偽善もいいとこよ。
いや、悪いことじゃないんだ。募金したり、社会貢献活動したりするのは悪いことじゃないんだが、俺が言いたいのは「いざとなったら崩壊する安っぽい善をアピールするな」ってことYo。
ほんと何だ、マジ、何なんだ?
そんな世界で苦しんでいる人がいるとかで、義務教育みたいに「義務ボランティア」だとか「ボランティア税」とかいう制度が日本で生まれそうになった時、あんたは喜んで「いいね、やっぱ苦しんでる人を救いたいし」ってな塩梅で「はい、賛成です」と票を入れられるのかね?
俺は反対するね、自分の財産は自分を中心に使いたいし、国にそんな税金とられて、ちゃんと使ってくれる保証もない。
そう、俺も含め、大抵の野郎共は反対する!それは「国が信用出来ないから」だけじゃなく、むしろ「自分の財産が大事だから」に尽きる。「国が信用できないから」とかいうのは、自分をよく見せるための逃げの理由。ほとんどの人間が法律を守ったり税金を納めたりと、大体の国のシステムを信用して生きているくせに、なぜ、「ボランティア税」や「発展途上国支援税」ってのを反対する?それは金を奪われるから、増税で金を奪われるから。
ここで偽善者が一気に判明、自分の言ってるモラルの浅さが露呈する。
ちょっと暇な時、「いいことしよっかな〜」という気まぐれの行為、片手でワンクリック、世界を救っている感覚に浸る自惚れ。もう一方の手でコーヒー飲んでるくせにNa(笑)
そしてほんの一握りの「世界を救いたい」だとかそういう大そうな志をもった人間は反対しない、増税とかになっても反対しない、だがそんな人間は何%だ?
いねえ、ほんとマジ、ほとんどいねえよ。
ボランティアっていう価値観は、確実に、弱い、重きを置かれない。「価値観シェア」みたいなのがあるとすれば、ボランティア精神の価値観シェアは数%、否、ゼロコンマだとか、そういうレベルだろうよ。
それと対称的なのが「金」。金っていう価値観は、意識/無意識のレベルを超え、潜在的に植え付けられる。テレビを見ても、街を歩いても、ほとんどの物体が「金の従属物」という言葉で換言可能。
それがどんどん入ってきて、どんどん認識させられてたら、潜在的価値観として「金」が植え付けられるのは必然、まぬがれることが出来ない。
「労働」ってのも、生まれたときから「親が労働して金を得ている」のを見て、街の「〜自給800円」だとかいうアルバイト求人広告を見て、あらゆる場面で「労働=金の対価」といった価値観が無意識に植え付けられる・・・「労働=ボランティア」っていう別の労働観を知るのは、早くても小学校低学年、そしてそれは大抵「授業」とか、限定された時間のみ。
ボランティアを知るのに、数年の月日が費やされる。早く知れたとしても、一瞬。
親が金を得ているのをみて、ゲームソフトが欲しくなったりして、すぐに忘れさられる、上書きされる。
圧倒的スタートの遅さ、確実に、負ける。「労働=金の対価」という価値観は、既に脳内を何週もぐるぐると回り、新たに「労働=ボランティア」という価値観を植え付ける場所がねえ、脳のシェアの大半が埋め尽くされている。
ひよこが始めてみた動く物体を親と思っちゃうインプリンティングみたいな、それに似てる。「人間=動物の進化の果て」なんだし、ある、そういうインプリンティングみたいなのがあると、俺は思う。目に触れるものが親、目に多く触れるものに価値があるっていう刷り込みよ。
「金が大事」だという価値観からまぬがるためには、「金で構成された世界」から逃げるしかねえ。逃げる・・・まず大都会から逃げる。高層ビル、住宅、公共施設、映画館、カラオケ、居酒屋、スーパー、ステーキ、ラーメン、カレー、豚丼・・・すべて「金の従属物」、「金の副産物」、どんどん目に入ってくる・・・逃れられない。
田舎に逃れる。自給自足、野菜を栽培して生活を送る。だが義務教育を受けねばならないがゆえに、「学校」というものに通わなければならない。学校に通って給食が出た。そこで「肉」を知る。肉が美味い、いつも野菜しか食ってない自分にとって、この肉というものは何なんだ?もっと肉が食いたい。「かあさん、いつも何でうちは野菜ばっかりなの?肉が食べたい!」と問う。かあさんは言う、「お金がないからだよ」と。「お金があれば肉が食える、お金があれば肉を食える・・・」。「金」という価値観が、脳内を駆け巡る・・・まずい、これはまずい。
大田舎に逃れる。だが学校はある。またここで「肉」を知る。「かあさん、いつも何でうちは野菜ばっかりなの?肉が食べたい!」。すると、父さんがイノシシの肉を取ってきてくれた。「ありがとう父さん!僕、肉が食べれてうれしいよ!!」
―数日後―
父さんが肉をとってきてくれなくなった。「父さん、最近野菜ばっかで飽きたよ〜肉をとってきてよ〜」。父さんに願う。
「すまん、イノシシを狩る銃弾がないんだ・・・。」
「銃弾って何?」
「イノシシを狩るために必要なんだ」
「銃弾はどうやったら手に入るの?」
「・・・(お金があれば銃弾が買えるのに・・・いや、)ん〜、まあ父さんにまかせろ!父さんが、何とかして肉をとってきてやる!」
「ありがとう父さん!」
―数日後―
父さんは死んだ。
「ひっくひっく(泣)・・・かあさん、何で父さんは死んじゃったの?」
「・・・木の棒に、尖った石を巻きつけた石槍でイノシシを狩ろうとして、逆にイノシシに突進されて死んじゃったの・・・」
「じゃあ僕が肉が食いたいっていったせいなんだ(愕)かあさんごめん、僕のわがままのせいで・・・」
「いいのよ・・・」
「肉が食いたいって言ったばっかりに!肉を食べるのって、そんなに大変なことなの?」
「そんなことないのよ。もし家にお金があれば、命をかけなくても・・・・はっ!」
そう、逃れらない。もう残された選択肢は、文明社会から隔絶されたアマゾンの奥地とか砂漠だとか、そういう場所しかねえ。そんな場所に住めるのか?否、住めない・・・建造物、住宅がいる。金の従属物による街へ、移り住む・・・金!この価値観はグローバルに浸透し、人類共通のグローバル・バリューと化した!!もう後戻りは出来ない。
だから俺や授業に出ている連中に、いくら教授がボランティア精神だとかを語っても無駄、響いてこない。うわべだけ「ボランティアは大事だよ〜」といったレポートを書く。
願望や期待を訴えているにすぎない。「人間は利己的、不完全な生き物」っていう最悪の、謙虚な前提から考えなきゃ駄目。
ボランティアリズムは弱い、どうすれば戦えるか、どうすれば、「金」っていう強大な価値観からシェアを奪えるか・・・その方法・・・そう、今日一番言いたいのはこれ、ボランティアを「名誉欲」とリンクさせるってことよ。
「全国ボランティアランキング制度」の導入、金を得ないボランティアだが、その代わりにポイントを導入する、何時間労働して何ポイントとかな。1時間で800ポイントとか、その辺がいい。限りなく現実の時間給に近い数値を利用して、金を得ている感覚と錯覚させる。
得たポイントはメモリーカードに記録され、ネットワークで一ヶ月ごとに集計、そしてトップの人間は表彰されたり、メディアに取り上げるといった褒美を与える。一年間のトップには「国」、小泉による表彰、つまり、オリンピック選手で金メダルとか取るのと同等の、超実績をあげた人間にしか与えられない栄誉を授ける。
極端に言うと、ボランティアをオリンピック種目にしてもいい。ルールなんてのは、そんなに難しいもんじゃねえ、一番ボランティアポイントを稼いだやつが勝ち。
ポイントが記録されたカードをネットワークにつなぎ、世界中でオンラインバトル。
もちろんボランティアポイントは、金を寄付することでも成立する。
けどそしたら、金持ちのやつばっかりがオリンピックで金メダルとっちゃうわけで、これじゃあ面白くない。「労働によるボランティア部門」と「金によるボランティア部門」で、競技を別にする。
これよこれ、金と同じぐらいの価値、金と同じぐらい人間が求める「名誉」、これで揺さぶり、一気にボランティア文化を浸透させる!
だがこれに反対する保守的ボランティア人もいる。そういう保守的ボランティア精神を持った人達は、「ボランティア」という行為を「美しい行為」みたいに思っているから、ランキングだとか、勝ち負け、名誉欲とかいう概念が入るのを嫌う。
ちがう、そうじゃないだろ!本末転倒していないか?ボランティアは何のためにある?ボランティアは、ボランティアのためにあるんじゃないだろ!?
「ボランティアをやる」のが大事なんじゃなく、「いかに苦しんでいる人をなるべく多く助けるか」ってのが大事なんであって、あんたらは自分らが「無給で、美しい行為をやっていますよ」と、自分勝手な自己陶酔に浸っているだけ。ボランティアが、完全に自己中心的な欲望と化している。
ボランティアを勝手に美化し、その美化したボランティアに自分を浸らせ、自分の人間的価値まで美化させる。
「労働=金の対価」という価値観が植え付けられた人間を、いかに多く動かし、いかに多く無給の奉仕、多額の寄付を引っ張りこませるには、この「ボランティア=名誉が手に入る」っていう餌を、人参を、ぶらさげるんだ!
汚れてるだと?どこが汚れてる!そうやって名誉のためにボランティアや、名誉のために寄付をする金持ちが増えれば、結果的に社会的弱者に貢献できるじゃねえか!?
過程よりも結果が大事なんだ・・・感情論に比重を傾けて、目的を見失っちゃあダメだ。
発展途上国に行けばわかる。って俺行ってないんだが、毎日の飯を食うため、窃盗や強盗も気にせず行う貧困民。
あんたらが奉仕しようとしている人間が、「過程なんて大事じゃねえ」ってことを叫んでる、「肉を食うためなら、窃盗や暴行も関係ねえ」と、叫んでるじゃねえか!?
ボランティア員が「窃盗や強盗をしてはいけません」と更生させる。貧困民たちは、「窃盗や強盗をしてはいけない」ということを理解し、更生する。
そして貧困民たちは、窃盗や強盗を行わない良心を持った人間に育つ。
だから、何なんだ?根本的な部分が何も解決されちゃいねえ。綺麗なモラル観を植え付けたことによって闘争心までも抑制され、先進国の搾取構造は維持されたままよ(笑)
「ボランティア」を、一回捨てるしかねえ。目標を見直し、再設定するんだ。「利己的な人間や利己的な国から、いかに無給の労働、金を引き出すか」。敵は「労働するなら金をくれ」っていう意識が刷り込まれている俺や大勢の人間達。そう、そこから再スタートしてほしいもんですね、はい。
と、何、何だ俺は?何偉そうなこと語ってる!?(恥)
いや、でもすっきりしました〜☆
いや〜けど正直僕は口だけなんで、そんなボランティアオリンピックをやろうだとか開くための行動なんて何もしないわけで、「ボランティアオリンピックとか南極オリンピックとかあれば面白いな〜」みたいな(笑)
しかも「ボランティアが勢いづくと、無給で働く人が増えちゃって、日本衰退、自分の生涯賃金にも響くかも(苦)」とか思ってるんで、まあ今まで言ってきたのはジョークですよ、ジョーク。最近心の乱れが激しいんですよね(汗)




日本人の若いボランティアは、頭でっかちになりすぎです。私はイギリスに住んでますが、別に誰もが“いいことやってる”と偽善でやってるんじゃない。助け合いは当たり前だからやってます。自己陶酔のためにやってる人は少ないです。
また、ボランティアをやってる方は60代以上の人ばかり。もう少し世間知ってます。誰もワンクリックでいい気になるような方はいらっしゃいません。
机上の論だけでなく、もっと色んな世界を見て色んな人に会われた方がいいと思います。
僕のボランティアオリンピックのアイデアがどんな風に思われるのか、ちょっと気になってしまって。
僕の世界観が狭かったです、すいませんでしたm(__)m
ただ、全てのボランティア活動が金銭を得ることができる労働で代替できるものではないと思います。私がやっていることは、一応「ボランティア」という名前が付いている活動ですが、自分では「ボランティア活動に参加しているぞ!」という意識はありません。
しかも、名誉も何も手に入れることはできません。
確かに、利己的な面はあるのかもしれません。「子供達のため=自分の住むこの国がよくなる」ということですから。
海外へのボランティア活動についてもモラルを教え込んだり、お金をあげることではないのでは?その国に住む人達がそれぞれの文化や価値観を織り込みながらそれぞれのモラルを構築できるように導くお膳立てをするまでがボランティア活動なのではないかと思います。
最近では、学校教育においてもボランティアを必修化するというような動きも出てきています。DJしかばねさんのような若い方々がボランティアについていろいろと考え意見することは今後の社会においてとっても重要なことだと思います。頑張ってください!
利己的なのは僕です、自分のため、金のために生きる、金の亡者です(笑)
コメントありがとうございました、TBも遠慮せず送ってきてくださいね☆彡
日本でボランティアをしてる頃、やっぱり「自分は偽善か否か」というので悩みました。こちらに来てから、半ば英語の勉強のためという下心がありました。
でも、団体側は「貴方も英語の勉強が出来てハッピー、私たちもハッピーよ」と優しく受け入れてくれました。その後は、むしろ私の方が英語以外でも教わることが多く、無料で勉強させてもらってるという感じです。スタッフはボランティア歴30年、患者さんもこの活動に参加して10年、20年は当たり前。タフで優しい尊敬すべき方たちですし。
臭いけど、活動を通じてお金で買えないことを人間関係を通じて色々勉強しました。もう患者さんとも友達だし、楽しいから続いているわけで。偽善だけで何年も活動は続けられないと思います。
まず、夏休みにでも色んな活動に参加されてみるといいかと思います。きっと楽しいですよ。色んな人に出会えて、良い人もいるし同意できない人もいる。その中でまた考え方もやわらかくなるんじゃないかと思います。
いろいろとアドバイスありがとうございます、ぜひ参考にさせていただきます☆彡
色々な考え方がありますね。
僕はDJしかばねさんのような主張はできません。
ボランティアに本気で取り組んでいる人をたくさん知っていますし、僕には真似できないと思っているからです。
僕がやっていることはビジネスですから、ボランティア活動と比べたらリスクなんて皆無です。
ビジネスにリスクはつきものだからです。
ボランティアこそリスクだと思っています。
僕はボランティアは決して偽善だとは思っていませんよ。
でも、それが正しいか間違っているかは別としても、DJしかばねさんのような世の中に対するきちんとした自分の「怒り」を表現できる若者がいるということが嬉しいです。
人に対して素直な人、いわゆる「いい子ちゃん」が多すぎてつまらなくなっている世の中、自分に素直な人が面白いと思いますよ。頑張ってください。
もし僕がボランティアやってたら、「あんた困ってる人に特に何もしてないくせに、よくそんなことが言えるな」って、苦笑せざるをえない。
そして「あんた困ってる人に特に何もしてないくせに、よくそんなことが言えるな」って、ボランティアをしていない人に感じてしまう、ボランティアをやってる人も、偽善者なのではないか?って思います。
「自分は困った人を助けているのに、何もしていないあなたが、困ってる人のことを口にする資格はない」みたいな、自分を美化した自己中心的な傲慢さを感じてしまう。
そういう人は、本心からボランティアを好きでやってる人じゃない。それなら、ボランティアをやらなくていいのではと。
まあとにかくその二つが、僕がすごく感じる「偽善」なんですよね。けど口だけでも、「困った人を助けるのは大事」って言うだけでも、大切なことなんですかね?ん〜まあ答えはないかもしれませんが(笑)